敬老の日が9月15日からハッピーマンデーになってその翌週の月曜日になったのが2003年だそうですが、今日はその「新敬老の日」でした。
この「敬老の日」には特別の思いがあります。
それは元々の敬老の日である9月15日は我が愛する母の誕生日であったからです。
調べたところ「敬老の日」として祝日になったのが1969年(昭和39年)だと知りました。
その時の母の様子を今でも覚えています。
「私の誕生日が国民の祝日になった」と喜んでいました。
敬老の日が9月15日からハッピーマンデーになってその翌週の月曜日になったのが2003年だそうですが、今日はその「新敬老の日」でした。
この「敬老の日」には特別の思いがあります。
それは元々の敬老の日である9月15日は我が愛する母の誕生日であったからです。
調べたところ「敬老の日」として祝日になったのが1969年(昭和39年)だと知りました。
その時の母の様子を今でも覚えています。
「私の誕生日が国民の祝日になった」と喜んでいました。
日航のジャンボジェット機が群馬県御巣鷹山に墜落して多数の方が亡くなってから25周年が経つと言うニュースが今週沢山ありましたが、僕にとってもこの事故は忘れられない物でもあります。
それは丁度25年前の8月12日の夕方、僕は仲間と共に八丈島へダイビングへ行くため、竹芝桟橋にいました。
僕らは整列して乗船を待っていましたが、後から来た仲間がこの遭難事故の第一報を知らせてくれました。
その時、飛行機に乗っている名簿の中に「大島九」と言う名前があると聞き、それは「坂本九さん」であると誰もがすぐに分かり、非常に気になっていたことが今でも鮮明に覚えています。
今年の記事で目に入ってくるのは「この事故を風化させたくない、次世代にも受け継いで貰いたい」と言うのが目立ちました。
25年前にはこの事故後、どの様な状況であったのかが詳しく報道されていたことも良く覚えています。
それを書くのは今ではとてもではないけど書けない悲惨な物でした。
僕も母を亡くして4年、最初の3年ほどは毎日のようにお墓に行って、話しかけて上げていたけど、今では週に2~3回ほどに減りました。
あまり毎日行くと「もう良いんだよ、これからは自分のことをやって欲しいよ!」と言われているように思っています。
また、最近の色々な出来事を伝えたりすることもあります。
日航事故の遺族の方々の話を聞いていても同様に「家族が増えた、孫を見せに来た」と言った話もよく分かる話と思っています。
僕は飛行機を運転することはありませんが、自動車には乗っています。
ハンディキャブの運転手として車椅子利用者を乗せて移送をしていることもあり、安全運転の意義を感じる所大です。
教訓として行かせて頂きたいと思い、合唱させて貰います。
年末にお墓へ行くと「今年の健康、無事」の報告をご先祖様へする為に来ている人たちで一杯です。
年始にお墓へ行くと「今年の健康、無事」を祈願する為にご先祖様をお参りする方々で一杯です。
そんな訳で年末の30日、31日は我が家のお墓のある霊園でも皆さん古い切り花から新しい切り花に変えてお参りいました。
また、皆さん元旦より「一緒に正月を迎えたい、いつも一緒だよ」と言う思いもあり、年末より更に多くの方々がお墓参りに来ていました。
毎年見る光景です。
僕も大晦日、元旦とお墓へ行って「報告と祈願」をしてきました。
今年も既に2日が経ち、気が付けば1月は行き、2月は逃げ、3月は去りとなり早4月と言うことになるのでしょうが、充実した日々を過ごせる様にしたい物です。
毎年、大晦日の午後に家族全員でお墓参りをする様になり4年が経ちました。
お墓が家の近くにあることを感謝する気持ちです。
生前、良く母はお墓は家の近くにして欲しいと言っていました。
それは母自身が経験した自分自身の親のお墓が遠くにあった為に行きたくても行くことが難しくもどかしい思いをしたことがあると思っています。
毎年大晦日にお墓参りをすると結構来ています。
やはり思いは同じなのかな?と思ったりしています。
母が天国に逝って早まる3年が過ぎ、段々お墓へ行く機会を減らす様にした今年でした。
今年も散歩がてらお墓に寄っていたことが多かったけどあまり頻繁に行くことも考えようによっては「う~ん?」と思う様になり、またいつまでも通い続けることで自分自身の生活が独立出来づらくなると言うことで今年は少し距離を置く様にした年でした。
そんなことでも年末年始は特別です。
明日は元旦でお墓は沢山のお墓参りの方々で一杯になります。
どちらのご家族でもやはり家族であり続けると言うことを感じます。
また、明日は年の始まりを報告に行こうと思っています。
もう、数え切れないほどの報道がなされて今では落ち着いてきた「マイケル ジャクソンさんの訃報」ですが、僕も一言送る言葉を書きたいと思いました。
Memorial Service(追悼式典)と言う言葉を初めて聞きました。
日本ではこの様な場合、「お別れ会」と言う言葉を使っていますね。
しかし、あの「追悼式典(Memorial Service)」を見ていて日本ではあのような事は出来ないであろうと改めてお国柄の違いを感じた場面でもありました。
それだけ偉大な歌手であったと言えばそうですが、おそらく見ていた人のほとんどがマイケル ジャクソンさんとの別れに悲しみを感じた事でしょう。
「スリラー、ビート イット、バッド、ヒール ザ ワールド、そしてWe are the world」と彼のヒット曲を何度も何度も聞きましたが、何度聞いても色あせないと言う事が偉大であり、世界的にヒットしたという証明でもあると思われました。
We are the worldは特に何度聞いても感動を感じます。
3人の子供たちが表に出たのももう、大衆に対して気にする物がなくなったという事と受け止めました。
我が国であのように娘さんが挨拶をすると言うのもなかなか無いと思った物です。
更にテレビでの特集の中である意味で感動した話がありました。
式典を行われていた会場で1列目に家族、親戚が座り、2列目に日本人が3人座っていたそうです。
その人たちは女性でテレビのインタビューでマイケル ジャクソンさんの熱烈なファンで世界中のコンサートを見に行って、いつの間にかマイケル ジャクソンさんが顔を覚えて特別待遇になってきたという話でした。
日本でも天皇陛下の行動、スケジュールを調べてあらゆるところに行って「天皇陛下の行くところ、その人あり」と言われるぐらいに密着している人がいますが、その方々はやはり天皇陛下に顔を覚えて貰い、挨拶をして貰えるようになってきていると聞いています。
おそらく、その3人のマイケル ジャクソンさんの大ファンの方々は何物にも代え難いすばらしい思い出を彼から頂き、一生物の思い出となる事でしょう。
金銭的にも大変であったと思いますが、それを上回るほどの事があったと推察しながらそのニュースを見ていました。
もうマスコミに追いかけられる事もないでしょうからのんびりと天国でムーン ウォークで踊りながら歌っている事でしょう。
安らかにお眠りください。
合掌!
6月4日は我が師であるグランパこと関さんのお通夜で飯能まで行き、参列してきました。
ず~っと会社の社長をしてきて、息子さんに2代目を継いで貰い、本人は隠居仕事にブログ、ホームページの管理をしていたのでかなりの方々が参列していました。
喪主の長男(会社社長)も「父は賑やかな事が好きな人でしたから涙は見せずににこやかに送ってください!」と言っておりましたが、グランパさんもこの参列者の多さにおそらく満足して「うれしいね!」と言ってくれたのではないかと思っています。
喪主の息子さんもグランパさんのモットーは「明るく、前向き、へこたれず!」でしたからと挨拶をしていました。
まだまだやりたい事がたくさんあったであろうと思うと非常に残念な事ですが、僕から見ると方向性としてグランパさんのやりたい事をしっかりとやれていたのではないかと思います。
僕がグランパさんと知り合ったのはグランパさんが既に仕事を息子さんに継いで貰い、本人は「これからは自分のやってきた事を次世代の人たちに伝授する事です。」とよく言っていたのを覚えています。
これはとても大切な事ですね。
自分自身が一生懸命汗をかき、血を流し、涙を流して生きてきた事を伝授したいと言うのはそれだけの自信がないと言えない事だと思います。
グランパさんのブログ内でもたくさんある経験談を現在の事例の中に入れてわかりやすく説明したのを見てもとてもすばらしい人生を過ごす事の出来た人だと思えます。
グランパさんは僕の目の前に現れる事は残念ながらありませんが、頭を上に向けて空を見上げればそこにはにこにこ笑顔のグランパさんが「頑張っているかね?」と言ってくれるのが見えてきます。
これからも「明るく、前向き、へこたれず!」頑張りましょう。
僕のすばらしい母、及び既に天国に逝ってしまった僕のすばらしい友達もたくさんいます。
皆さんには既に報告させて頂いています。
本当にグランパさん、ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお休みください。
合掌!
我が師、天国へ旅立ちました。
我が師、グランパさんこと関 崇雅さんは5月28日(木)午前6時45分に永眠されました。
お悔やみ申し上げます。
僕が現在の仕事を開業して初めて展示会に出展した時にとても丁寧に対応してくださったのがグランパさんこと、株式会社セキメイバン会長 関 崇雅さんでした。
そのグランパさんが癌に冒されたと宣告を受けたのが3年ほど前でした。
それからの闘病生活を公開しながらホームページ、ブログを書き込んでの活躍に僕はとても刺激を受けました。
特に闘病生活に関する事については本当に大変な治療を受けているにもかかわらず、全てを公開して「頑張るぞ!」とご自分にも、また我々にも言い聞かせる様にしていたことを鮮烈に覚えています。
ある時は僕よりホームページからの受注アップに関する情報を提供し、またある時にはグランパさんよりグーグルアドセンス、ブログの公開、アフィリエイトのことを教わったりしました。
また、グランパさんはとても前向きな方でモットーが「明るく、前向き、へこたれず・・・・挑戦!」と言っていまして、僕も小さな展示会などに出展していると必ずグランパさんも出展していて色々な事を教わりました。
お通夜には是非行きたいと思っています。
これからは我々を天国から見守って頂きたいと願っています。
どうぞ、ごゆっくりお休みください。お疲れ様でした。
合唱!
9月1日~7日までアメリカへ行ってきました。
僕のベストフレンドが突然4月25日に亡くなり、その法要に行ってきた訳です。
その人の奥さんは5年前に亡くなり、やはりその人も僕にとってはとても素晴らしい友達だったのですが、その時はちょうど湾岸戦争の最中で亡くなる前も後も行くことが出来ませんでした。
とても素晴らしいアメリカ人のその友達に「バイバイ ベストフレンド フィルさん」と言いたかったから行ったような物です。
亡くなってから5ヶ月が経っていたのでお墓に行ってお参りさせて貰おうと思っていたら「まだです」と言われ、火葬して骨壺に入れた状態とのことで、ちょっとびっくりしましたがその骨壺を見せて貰いました。
上の写真がそれですが、日本のそれとはちょっと違いますね。
周りに描いてある絵は釣りをやっている姿でその人が釣りが好きだったのでちょうどそれに合うのがあったので購入したとのことでした。
多分、友達も喜んで気持ちよく寝ていることでしょう。
僕の友達は「咽頭癌」で亡くなりましたが、昨年の12月に分かり4月には天国へと旅立ってしまうと言うとても強い癌だったようです。
最近は患者自身にも癌の告知を行うことが普通になってきましたが、彼の奥さんの場合には彼女自身も戦っていることを友達、家族全員に話していました。
僕もメル友でしたが、毎週どの様な治療をしていてどの様な成果があったかと言うことをきめ細やかに伝えてくれ、僕はどの様に返事を書いて良いのか分からなくなることもありました。
そんなことがあったのですが、今回の友達の場合はとても進行が早くガン細胞が体の中に入ってしまったことと本人が周りの人たちに話したくないと言うことで彼が亡くなったのを知ったのは1週間後でした。
人それぞれですね。
誇り高く生き、プライベートなことだと割り切り、ギリギリまで話さなかったようでした。
今は天国で奥さんと仲良く話しているでしょう。
そして僕の母とも友達になり、仲良く笑っている事と思います。
母の墓前にもこの事を報告させて貰ったので問題なく友達になれたと思っています。
Phil-sanと友達になったREno市 Nevada州のダウンタウン
今回、僕はとても高いウェスタンブーツを購入してきました。
今まで購入した靴の中で最も高かったです。
普通の靴ではなく、これを売っているウェスタンショップが特別にオーダーして作ってもらっているのでこの店でしか買えない代物だと言われ、購入しました。
最近日本では「勝負服」という言葉が聞かれますね?
特別なことを行う日に特別な服を着ると言う事のようですが、僕は「勝負靴」をこの靴にして僕の友達に支えとなって貰い、一生懸命やっていこうと思いました。
決して友達を踏みつけて歩こうという意味ではありません。
いつも一緒にいてくれるよう、楽しく生き続けていけられるよう、楽しく履いていきたいと思い、手入れをしていこうと思っています。
毎日暑い日が続き、ヒマワリがとても似合う季節ですが、お墓もヒマワリで飾って上げたいと思い、今朝写真の様な状態になりました。
我が家のお墓は花が絶える事のない賑やかなお墓です。
母もそれを望んでくれていると思っています。
先日は兄嫁がボランティアを行っている施設で催し物があり、我が家からランタナ、ひまわりの花を持って行き、とても喜ばれたと言っていました。
毎日暑い日が続き、お墓も墓石が「ちんちん」と言う感じで暑いですが、このヒマワリを見て気持ちの良い夏を感じてくれているのではないかと思っています。
新盆を終え、昨年は盆、今年は3度目の盆を迎える事が出来ました。
下記写真のように準備万端で13日には母を迎えました。
皆集まって、近くの霊園に行き、迎え火を貰って家の前で燃やして母を迎え入れる事が出来ました。
我が家のささやかな母の霊前を盆仕様に変更しました。
今年はほおずきを1本買ってきたら10ヶ以上も付いてて、この様になり重たそうです。
しかし、やっぱりにぎやかなのが一番!
今日で3泊して頂き、夕方には送り火です。
また、来年の盆に楽しみに来て貰えるよう、頑張っておこう。
昨日は巨人軍は残念ながら負けてしまいましたが、今日は勝ってくれる様、位牌にお願いしました。
何たって我が母は読売巨人軍の終身名誉私設応援団長だから・・・・・。
合唱
手を
合わせると
お地蔵さまの
ような
やさしい心になれる!
今までも毎月一度、母の命日に近い日曜日に家族皆でお墓参りをしていましたが、今年もこれを継続。
昨年の正月休みを初めて経験してびっくりしたのは年末、年始のお墓参りの多さでした。
それは今年も同じでした。
僕も31日にお墓の大掃除をしました。
普段はお墓の石に水をかけてタオルで拭くと言った軽い掃除ですが、この日は使った歯ブラシを持って行き、名前の彫ってある部分、普段洗いきれない端面を丁寧に磨きぴかぴかにして19年度を終わる事が出来ました。
そして年が変わり、20年度の元旦はやはり昨年と同じように沢山の家族の方々がお墓参りに来ていました。
皆さん天国にいる人を大事にしているのだなあと思う時です。
我が家では今日(6日)、家族全員で集まってお母さんに会いに行き、「今年も綺麗で暖かい風を吹かせて下さい」とお願いしてきました。
本当、ご先祖様へのお参りはとても気持ちの良い物と思います。
今年の正月の天気は毎日晴れて特に今日は気温も3月並と言う事でいつもお参りしているので天国で調節してくれているのだと思うほどですね。
今年もよろしくお願い致します。
今回、母が亡くなった時に取り寄せた除籍謄本から更にさかのぼって出来る限りの謄本を取り寄せたいとお願いしました。
除籍謄本を取り寄せた時には母の親までの謄本を取り寄せて母の遠い過去を知る事が出来ましたが、今回はそこから更に祖父のご先祖、及び祖母のご先祖様の両方を出来る限り取り寄せたいとお願いしました。
私は東京に住んでいて母の田舎は福島県にある為、郵便で「定額小為替」を送り、戸籍謄本は5通でかかった費用は郵便代を含めて3750円で済みました。
秋も本番に差し掛かり、空を見上げると秋雲がとても綺麗です。
高い空の雲は抜ける様に綺麗で心が洗われる様!
毎朝、早起きして散歩をしていてあまりに綺麗で携帯カメラで撮りました。
(本当はもっと綺麗です)
朝焼けの色も秋独特の色だと思います。
読売巨人軍終身名誉私設応援団長から見た最近の巨人軍
9月7日~9日の対阪神3連戦を3連敗で負け、あれまと言う感じで3位に転落してしまった巨人軍。
がっかりしているのは我が家だけではなく、多くの巨人軍ファンであろうと思いますが、今は阪神の方に底力があると思わざるを得ないと言った感じですね。
1点差で3連勝と言う事自体がその力を証明している様にも思います。
まるで長島巨人軍がミラクルをおこなった時の再来の様にさえ思えてしまいます。
今週は全国的に旧盆に入り、地方に田舎を持っている方は田舎に帰りお墓へのお参りをしている方も多いと思います。
今年は梅雨明けが遅かった反面、明けてからず~っと全国的に巨大な高気圧に囲まれて毎日暑い日が過ぎています。
地方に帰って方もお墓参りは大変と思われます。
我が家は東京にお墓があり、この旧盆には毎日一番暑い時間帯にお参りしています。(家から15分ほどで行かれる距離の為)
今年の夏の暑さを感じている方はたくさんいると思いますが、お墓を守ってくれている方々も大変な暑さを感じています。
ふーふー言いながらお墓を守ってくれています。本当にお世話になっています。
「体に気をつけて下さい」としか言えないのが残念ですが・・・・・
お饅頭、かき氷、ゼリーとお母さんの好物を差し入れしながら同じように暑い思いをしている天国のお母さんの供養をしています。
昨年、縁日で購入したサルスベリも満開です。
昨日は勝手に関東地方も梅雨明けと書きましたが、残念ながら今日が本物の梅雨明けとなりました。
天国のおっかさんもさぞかし待ちかねた夏でしょう!
ひまわりも「この夏の主役は俺だ!!」と満開になってきました。
鉢植えのヒマワリは窮屈そうですが、満開となりました。ガボガボと水を毎日飲んでいます。
我が家は典型的な読売巨人軍の熱烈なファンです。
戦後、読売新聞、報知新聞を購読し、巨人が勝てば喜び、負ければ人に当たってぶーぶー言う。
その様な典型的な家庭です。
上記写真は我が家でのお気に入りの写真で「高橋由伸」の人形を抱いているのですが、彼のファンであったので抱いて貰って記念写真です。
今年は今にA3サイズの写真を額に入れて飾ってあります。
母が亡くなって1年が近くなり、今日は1周忌法要を致しました。
本来の1周忌は5月3日ですが、1周忌、3回忌等は全てその日より前に行う事となっているとの事で今日となった次第です。
母は「晴れ女」でこの1年を振り返ってもお通夜、告別式、49日、月忌と法要がある日は全て晴れました。
雨が降っていても式が始まる直前に雨が上がったり、今日のように前日には大雨、強風、雷と大変な天気でしたが、当日は朝から雲一つ無い晴れで、「やっぱり今日はとても素晴らしい晴れの日だね」と母に声をかけて上げました。
雲一つ無い晴れた日の1周忌でした。
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